映像制作 株式会社モーニング

DIRECTOR DIRECTOR

CMに心を打たれた少年時代
映像制作の業界に進む事を決めたきっかけ

映像制作へ進むきっかけって何でしたか?昔から好きだったんでしょうか?

小学生の頃は漫画家になりたかったんです。映画も好きだったし、プラモデルを作ったりする事も好きでした。高校生位からは当時流行っていたバンドブームに乗って、ギターを弾いたりもしてました。絵がすごくうまいとか、何かが特出していた訳ではありませんでした。
高校卒業で今後何をしようかと考えた時に、「漫画とか絵を描くのはとても時間がかかるので難儀だ、それなら映像を撮った方が簡単なんじゃないか」という考えから、札幌の映像専門学校に入りました。

僕は小さいころから食べるのが好きで、料理をするのも好きだったんです。小学校6年生の頃、おふくろの誕生日にカレーを作ったのを覚えています。

なので、絵を描くよりも立体が出来上がって行く料理のようなものを作るのが好きだったんだと思います。そういう意味では小学生の頃も、写生の時間より工作の時間が好きでした。

その後美術系の専門学校に進学して絵を描くことをたくさん習っていたんですが、いつの頃かCMが面白いと感じる時期があったんです。15秒・30秒の間に、感動するようなものがぎゅっと凝縮されているものを目にして、心を打たれるような純粋な少年だったんです。笑
そういった経験で、専門学校の頃から映像制作の世界もいいなと感じていました。



その後、どのようなきっかけでモーニングに入社されたのでしょうか

専門学校を卒業した後は、漠然と札幌で働く事を考えていたんでが、先生のお勧めと紹介で東京のプロダクションに入ることになったんです。
「一人暮らし」も「東京」も「就職」も全てが初めてという三重苦で、加えてはじめの会社はとてもハードだった事もあり、9ヶ月ほどで退社してしまいました。その後東京の別の会社に10年務めたあと、札幌に戻ってくるにあたって、モーニングのホームページを見て応募したのが入社したきっかけでした。

卒業後モーニングの前身の会社に入社したんですが、入社当初は制作の先輩が研修で東京に行く代わりの3ヶ月間の予定で、僕も「ゆくゆくは東京に行って仕事をしよう」と考えていたんです。それが気がつけば、そのまま25年勤め続けています。

明確にこれがやりたい!という感じではなかった?

モーニングの社長に、入社当時の自分は何者でもない「ミジンコ」だったと言われていたくらいです。笑

僕の聞いた話では、工藤さんは当時、任されたプレゼンの企画案が軒並み採用されて、社長としても目に留まるものがあったそうですよ。当時を知る人の話しでは、入社当時から企画力に長けていたんだそうです。ミジンコはミジンコでも、「光るミジンコ」だったんじゃないですか?

それは初めて聞きました。笑

僕の場合は、将来的にどこの会社に行くにしろ、一度入ってしまえばある程度同じ業界の中で他の会社に移動する事は出きるんじゃないかなと思っていたので、映像の仕事ならどこの会社でもいいかなと、深く考えずに最初の会社に入ったんですよね。だから、入社してから「どうやらここの会社はCMを作っているらしい」ということを知りましたよ。笑

先輩に「映像制作業界で一生懸命働いていれば、プロモーションビデオでも映画でも、希望の業界に進んで行けるんだよ」と言われて頑張っていたんですが、結果気がついたらずっとこの業界に居続けてしまいましたよね。

僕は何気なく会社に入ったんじゃなくて、CMの制作がしたくてこの会社に入りましたね。これだけ続くと、この会社が最初で最後になりそうですけどね。笑

働く環境については今と昔で変化はありますか

10〜20年前と比べると、職種がより多様化していると思うので、仕事の選択肢としては増えているんじゃないでしょうか。

確かに、映像というくくりでもジャンルは増えているよね。昔は媒体が決まっていれば、ある程度、人は集まってきたんだけど、今はなかなかそうは行かないという状況なんだと思うよ。

それから、以前は一つの作品を作る時に、機材も人も分かれていたけど、今はオールインワンで作れる環境が整っているように感じますよね。だから、既にスキルがある人は自分で会社を起こしてしまうケースが多くなっているみたいですよ。

一つの作品を作るのにそこに関わる人の数が減れば、その分作品に対する想いは凝縮されるだろうから、より純粋なものができるのかも知れないよね。個人的なものだけど、すごく突出した要素を含んでいる作品とかさ。

裏を返すと、多くの人がかかわるような大きな作品づくりは、やはり今も昔も映像会社でしか経験することが難しいですよね。


それぞれの人生にしっかりと刻まれているターニングポイント。違うルーツから今へと続く人生の道筋がそこにはありました。今いる場所でしか経験出来ないことがあるということを、ちょっとだけ誇らしげに話してくれたことが印象的でした。
工藤哲央

工藤哲央 TETSUO KUDOH

企画・演出

1964年9月27日 日曜日 旭川生まれ。
その朝は、水たまりに氷が張っていた。
父は元HBCの技術屋。
テレビ業界の空気の中、札幌で育った。専門学校で、デザインを学ぶも進んだ路は、やっぱりTVCMの制作会社モーニング。出来ない制作を経て、素晴しい企画演出になり、現在にいたる。

桜田威寿

桜田威寿 TAKEHISA SAKURADA

企画・演出

1973年9月11日生まれ。函館出身。 バリバリの公務員家系に育つ。
朝日プロモーション(現ADKアーツ)を経て、制作進行としてモーニング入社。
その後、企画・演出部へ。
「割と運勢は良い方だ」と思って生きています。